2008年7月アーカイブ

アッチッチ!と真夏の猛暑日が続く!
外を歩いていると身体が溶けていくみたいに汗が出続ける。
太陽の日差しを避けるため、信号待ちのときは電信柱の陰に隠れようと
無駄な努力をしたりする。

光と影!切っても切れないものであろう。
白黒とか表裏、右左、上下、男女など二極性で考えると分かりやすい。
二元論と言われるものだ。

戦後日本の教育に○×方式が入ってきた。
以来半世紀以上、無理矢理にYesかNoを言わされてきたように感じる。
どうも日本人と合っていないと思われる。
二元論のYes or Noでみると日本は「or」の国と言われる。
この感性は世界でも珍しく、ネイティブアメリカンやエスキモーなどに多くみられる。
農耕民族以前の狩猟をしていた民族、太古の自然と調和しながら
一体となって生きていた感覚に似ているとも思う。

どちらでもない・・・あるがまま・・・全てを受け入れ・・・感謝する

アメリカは陽の国であり、具現化・物質化で発展してきた。
日本は陰、もしくは中の国で統合と調和で発展した国である。
アメリカは目に見えるもの、日本は目に見えないものを
大切にしてきたと言えば分かりやすいかもしれない。

陽は分化し発展し多様化するが、そのまま行くと混乱する。
そこで陰の統合や中和の力が働く。
両方が働いて中庸になりバランスが取れ発展していく。
易などではこれが宇宙の法則として組み入れられている。

戦後、日本人はアメリカになろうとした。
素が違うのに無理な話である。
その結果が今の社会に現れているのではないだろうか。
システムや環境よりも、親から子への愛・子供より親への尊敬という根本・基本の念を
今こそ取り戻すことが必要だと私は思う。


(次号に続く)
私は昔、デンタル・テクニシャン(歯科技工士)という職人であった。

歯には機能的要素と審美的要素の両方が必要だ。
噛む力に耐え、腐食せず、他人から見て自然に見えなければならない。

歯科技工士の学校では様々な知識やテクニックを学び身に付けたが、
審美的センスは簡単には身につかない。
機能はどれも同じように満たしてはいるが、
出来上がった補てつ物は個性が出てしまう。
誰が作ったかが分かるのだ。

学校の先生には日頃から一流のものを観なさいと言われた。
絵画やオブジェなどの芸術品、自然の景色、昆虫や花の造形などが参考になるのだ。
美しいだけでなく機能も兼ね備え、個性になる。

歯科医院に勤めているとき、刑事が白骨死体の歯形を持って来院した。
身元捜査のための歯型照合である。
自分で作ったものは案外わかるので、
直ぐに自作ではないことが判明して安心した記憶がある。

入れ歯やクラウン(一般に銀歯と言われるようなもの)を作るのも物づくりだろう。
完成して磨き上げたときは達成感があり気持ちいい。
コツコツとミクロの世界で神経を集中する地味な仕事であり、
患者に会うこともあまりなく、一日中、技工部屋で仕事をする。
出社のとき以外、日に当たらないことも多い。

日本の歯科技工士は世界で一番だと私は思っている。
しかし、社会的地位は世界的にはかなり低いようである。
(アメリカなどでは歯科医と同等)
歯科技工士に限らず、日本では職人の地位が低いと感じる。

今、職人の技術継承が危機を迎えている。
大手企業が高卒生の大量採用をして技術の継承を促すようである。
技術こそが日本の力だからであろう。
ITを作るのも人間である。
普通の人が出来ないことをするのがプロであり職人である。
カウンセラーという職業も職人だと私は思っている。
技術と心をもった職人を大切にしてほしいものです。


(次号に続く)
感覚コミュニケーション...今作ってみました。

私はメタボで暑がりの汗かきである。
暑ーい外には出たくない!
でも仕事だから...せめてスーツの上着は着ないでクールビズでいこうと思う。

暑い...苦手...外に出たくない、と言うように
感覚(刺激)が自分自身の感覚フィルターを通って行動に反映される。
理性的に動いているようでも日常の多くは感覚が先なのである。

指揮者のカラヤンは徹底したコミュニケーションをして感じを伝えた。
映画監督もイメージや感性を伝えるのに懸命になる。
感覚や感性を言葉やテキスト化するには限界がある。
手っ取り早いのは同じような体験をして感覚を共有することであろう。
体感型のゲームが流行っているのも進歩した結果だろう。

面白いや楽しいは感じた人の判断に委ねる。
体感して面白いには理屈は必要ない。
面白いから買うのだ。
面白さは人によって千差万別、種々の面白さがある。
説明しているときりがない。

一緒に踊ったり歌ったり、ジェットコースターに乗ったりすると
言葉にしなくても一緒に楽しめる。
でも感覚や感性が少し似ていないと反応が変わってくる。
ジェットコースターが楽しい人と恐怖の人に別れてしまう。

感覚のコミュニケーションは難しい。
合えばこんなに楽しいことはない。
私の暑がりを理解してくれる人は少ないのである...悲しい。



(次号に続く)
私のもとを訪れる多くのビジネスヒューマンは弱い人なのだろうか?
うつ病等の病気になる人は弱い人なのだろうか?

ほとんどの人は周りの環境が適切であれば発症することはない。
仕事の量や質、人間関係、労働環境により大きく左右される。

結構優秀な人が係長などの管理職になったとする。
同じような仕事をしているようでも、役職がつくと意外に違うし重さも増す。

誰も教えてくれず、引き継ぎも不十分で自分で考えてやってみるしかない。
権限も不確かで決断が出来ないし、失敗を恐れ判断ができずに時間だけが過ぎる。
上長からは「管理証なのだからシッカリしろ」と激を飛ばされるが助けてはくれない。
部下は意見ではなく、愚痴や文句を言って自分の殻を守ろうとする。

・・・孤立である。責任は重く逃げ場はない
・・・家族も養わなければならないし家のローンもあるし・・・。

自分で頑張るしかない!・・・結果、労働時間が増えて疲れるが回復しない
・・・気がつくとうつ病になっていた。
このようなケースが非常に多い。

会社なんかいつでも辞められると気がついたら、楽になったという人も多い。
企業はせめて働く環境づくりと支援をしなければ、
多くの人を傷つけ生産性を低下させるだろう。

適材適所やコンピテンシーなどと言われて久しいが、
欲求や価値観、熱意などを考慮に入れて考えている企業は非常に少ない。
解決のカギは心にあるのだ。


(次号に続く)