窓から顔を出す!?

| コメント(1) | トラックバック(0)

~汽車の窓からハンケチ振れば~

という歌がありましたが、あなたは汽車の窓から顔を出したことはありますか?

最近の電車では窓自体も開けることは、めったにないように思います。

 

私の子供時代、四国の田舎では、SLが走っていたのをかすかに覚えている。

高校のときもディーゼル機関車でエアコンなどなかった。

夏は窓を全開し、顔を突き出して風を受けていた。

風と共に鉄の焼けるような匂いや、潮の香り、草の香り

車輪の音、鉄橋のときの音・・・今でも鮮やかに思い出すことができます。

 

現在は電車の窓から顔を出すと叱られるだろう。

せめて車の窓を開けて、大自然の絶景とともに風を受けてみてほしい。

親子での体験が出来たなら、一緒の一生の思い出になるだろう。

 

全身、五感を通して刻んだ記憶は、なかなか忘れられないものである。

ビル風や地下鉄の風はいやだけど、自然の風は気持ち良い。

 

瀬戸内の夕日を眺めながら、ことこと走る汽車の窓から

しおかぜを顔いっぱいに受けて見た景色は

今でも私の大切な宝です。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.bc-a.jp/mt/mt-tb.cgi/324

コメント(1)

♪汽車の窓からハンケチ振れば 牧場の乙女が花束投げる♯♭~、うーん、朗らか系の曲の不朽の名作ですね。
岡本敦夫さん「高原列車は行く」、これを聞くと古き良き日本に嫌でも思いをはせてしまう寸法で、何とも布団縞~ガラス障子~稲のにおい~牛の鳴き声、と素朴そのものの心象風景が頭を占有してしばしの安らぎが得られるわけです。
何より傑作なのが、三番目の歌詞♪峠を越えれば夢見る思い 五色の湖 飛び交う小鳥 汽笛は二人の幸せうたう 山越え谷越えはるばると.....♪~、少女の夢の風景といえばそれまでですが、逆にそれだからこそヨーロッパ・アルプスのさしずめイタリアはアオスタ渓谷の軽便鉄道の場面が浮かび、実に素朴なストーリー性をなしていると思えてなりません。
今の我々の現実の生活シーンとかけ離れた郷愁をそそる歌詞、汽車の窓から顔など出せずたちまち事故だ、しかし戦後10年目ぐらいはもっとのどかで顔を出し放題、スピードだって遅かったから花束を投げられたかも知れない、五色の湖だって今のようには公害で汚れていなかったから清浄な空気があふれていたに違いない、と想像力をかきたてることができるだけに却って新鮮とも取れよう。
と同時に小生なりに戯れ事が浮かんで仕方がないのです。別の見方をすればかつて思春期の頃、「五色の湖で幸せ絶頂なんて単純すぎておかしい→少女趣味まるだし」、「汽笛は二人の幸せうたう→これは精神年齢ローティーンのメルヘンの具現化だ」と、「年齢の割にませていた」小生は小馬鹿にして見ていましたが考えてみれば当方とて人のことは言えず、例えば個人的に至福の時間として捉えている「愛車レクサスIS350で峠のコーナーを攻め、タイミングを見てニュートラルステアを形成する中に獲物に向けてトリガーを引くような緊張感を覚える」という概念だって「五色の湖に感動する少女趣味」の男の子バージョンじゃないかといわれればそれまでだし、「幸せうたう汽笛」も「V6直噴エンジンのレスポンスと甲高い燃焼音に心洗われる思い」と同質かといえば確信をもってNO!と答えられない按配で男子・女子ともに結局はいつまでも少年・少女であることを考えさせられる歌詞だと思えます。そのぐらい日本人の心のふるさとを掴んだ不朽の歌詞・メロディが「高原列車は行く」ではないでしょうか。

コメントする