2010年10月アーカイブ

環境!?

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環境というと、自然とか、地球などと思い浮かべる人が多いかもしれない。

本来はもっと身近なところで、職場や家庭、公園などに使われるものだったそうだ。

 

私の子どもの頃の環境は、自然に包まれていた。

目の前が川、裏が山、少し行くと海。

川や海で、魚やカニ、タコ、アワビ、サザエ、ウニなどを採り、おやつや食事としていた。

山では、畑のもの以外で、自生のビワ、山芋、あけび、木イチゴ、イタドリなどが手に入った。

子どもの遊びが、ときには家庭の食事の材料となり役立っていた。

子どもは大人の仕事を手伝うのが当たり前でもあった。

畑仕事や風呂焚き、七輪で魚やトウキビを焼いたり、漁師の網にかかった獲物を外したりと

遊びと仕事が何となくつながっていた。

食べ物の命と自分の命はつながっていた。

 

都会で仕事でこころ疲れている人は、やはり自然に還るべきだろう。

限りある命だからこそ、生きる喜びを基本に生きていくことが大切だと思う。

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街を歩くと、早くもコートを着ている人を見かける。

朝晩は寒く秋の深まりを感じさせる。

 

秋と言えば「鍋」を食べたくなりますよね!

あなたは何鍋が好物ですか?

すきやき、みずたき、寄せ、ちゃんこ、火、もつ、などなど・・・。

肉や牡蠣、つみれ、などの主役はもちろん美味いが

白菜やネギ、シイタケ、こんにゃく、とうふ、などの脇役が実に旨い。

それぞれの出しも出て、調和して美味しくなっていく。

 

鍋を会社や組織に置き換えてみると面白い!

あなたの会社はどんな鍋に例えられるだろうか。

そして自分自身はどんな具材に当たるのだろうか。

人間関係という調和した出汁は出ているだろうか。

 

この季節の鍋の消費量は、真冬よりも多いそうだ。

あったか~い鍋は身体も心も暖まり幸せを感じる。

景気が悪く仕事は厳しいかもしれないが

働く仲間同士は美味しい鍋のようでありたいものだ。

チリ落盤事故

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チリの落盤事故での救出が世界中の話題になっている。

70日間700mの地底で、33人全員の生還。

自分がもし・・・と考えたとき、やはり奇跡に近い出来事かもしれない。

 

ルイス・ウルスアさんの、リーダーシップは、これから一つのリーダー像として

企業や組織や研修業界において語り続けられるだろう。

 

彼らの精神的強さもさることながら、チリ人のネアカで明るい気質も大きな要因ではないだろうか。

希望を持ち続け、楽天的なプラス思考で生きる。

 

今の日本の閉塞感を思うと、楽天的な生き方をしなければ・・・。

 

江戸時代、黒船襲来前の民衆は、とっても明るく笑顔に満ちていたそうだ。

日本人はもともと明るく楽天的な生き方をしていたのだ!

江戸っ子などは、縁起をかついで不幸なことにはとんちを効かせて幸福に変えていた。

 

チリの落盤事故は、世界中の人々にとって、多くの問いかけになるのではないか。

そして人として生きていくための生命論的生き方のヒントを与えてくれたのではないだろうか。

あなたは正常ですか?と問われたら・・・どう答えますか。

正常とは一体どのようなことを指すのであろうか。

 

社会的に逸脱せず生きている人は正常なのか?

行動的にはルール―を守っている人は正常と判断されるのか。

みんな頭の中では、正常も異常も夢も空想もどんどん湧いてくる。

そのなかから選択判断し、行動に移す。

行動して、周りからのフィードバックにより自分を確認する。

 

自分と違う選択や行動をする人を見ると「あの人変」と思ってしまう。

あの人から自分を見るとどうなのだろう・・・。

 

身体的にみると、私のメタボは異常に分類されるのだろうな!?

正常・・・常に正しい・・・揺らぎが無い・・・人間らしくない!?

 

喜怒哀楽があり、情もあるから人生は面白い。

ただ、ぶれ過ぎると大変だから基準となる正常は必要なのかも?

 

最近自然現象も異常だよね!?

内定式

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本日10月1日は企業の新卒者の内定式が行われる。

とっても厳しい就職戦線のなか、内定を勝ち取った人の晴れ舞台かもしれない。

だが、その背景には内定がまだもらえていない人、昨年の就活から今も続けている人など

多くの問題が潜んでいる。

国や行政も色々と施策を打ってはいるが、企業が元気にならない限り本当の復活はない。

施策も適当にしか見えない。

例えば、経済上の問題で大学を辞めた子どもたちのことなど、誰も問題にしていない。

 

就活の早期化、内定の早出し、青田刈りにより、学生の本業である勉強が疎かになる・・・。

ある商社が、4年生の夏以降に就活をと提案をしていた。

 

今の学生に足りないのは、仕事をやる就業力や社会で生きていく逞しさではないだろうか。

現状を見ていると、就活は学生たちが実社会を体感し現実に向き合うような効果がある。

就活の始めにくらべ終盤では、学生は大きく成長しているのである。

 

企業の採用担当者の話や学生の相談などを聴いていると、明暗を分ける大きな要素がある。

「人間力」というようなものである。

「人として・・・」と言った方が分かりやすいかもしれない。

基礎として、人としての常識や判断、選択に行動がある程度備わっていて、

その上で、能力やスキル、知識や情熱などを加味していると思われる。

その基礎が無い学生が多いので、企業は選考以前の段階だと言う人もいる。

 

残念ながら、内定をもらえていない学生の多くに、主客(主観と客観)の整合性の弱さがみられる。

「経験不足」と私はいつも言っているのだが、子どものときに野山を駆け回ったり、

部活で苦しんだり、恋愛で悩んだり、と「正と負」の体験の少なさが、大人になりきれない大きな原因だと感じる。

場が読めない・・・、などは、自分の判断と選択と行動が、周りの人とズレが大きいことになる。

その差を感じ、修正していくことで、周りとの整合性が取れ、大人としてのたち振る舞いができるのである。

就活は、ある意味この差を感じさせ、差を埋めることを訓練することを実践しているときでもある。

 

就活と就職は人生の大きなイベントかもしれませんが、人生の中ではほんの一瞬。

勝ち負けではなく、自分の人生を創造的に生きていくためのものにしたいですね。

内定式は単なるマイルストーン、人生は山あり谷あり、喜怒哀楽あり!

未来は可能性に満ちているから生きていける。